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12月

ツインターボ 逆噴射

美しくも儚い大逃げとその直後の急激な逆噴射、それがツインターボの競馬であり、勝ち負けを争うレースとは別世界の物語なのである。近年の日本競馬界が侵されている重病、「スローペース症候群」。スタートからテレテレと走り、最後の直線に向いたらヨーイドン! そのような競馬ばかりが目立つようになって久しくなった。だがスローペースや差し・追込みが悪いわけではない。みんながみんな同じ事をしてしまったら、特徴も何もなくなってしまう。毎度毎度レースを見れば同じような展開ばかり……そんな時代に現れた逃げる救世主、それがツインターボ。後方で牽制しあう有力差し馬達を尻目に何処吹く風とばかりに破滅的なペースでガンガン加速していく。「ターボについていったらお終いだ。どうせ最後はバテて歩くんだから」と考えて有力馬が揃って控えたら、もうそこはツインターボの桧舞台。ネタ馬扱いされていた馬が、良血の強豪馬に泡を吹かせる――そんなマンガのような胸のすくレースを夢見て、今日もターボの逆噴射を眺める。その夢がいつか現実のものとなる日が来ると信じて。, そして彼は、七夕賞とオールカマーで、その夢を2度も現実化させた。 ID: baaPc98Klm, 2019/03/09(土) 08:06:34 1988年4月13日、北海道静内町に生まれる。 それはターボを心から愛するファンが答えてくれるはずである。 牡馬であるにもかかわらずかなり小柄。レースで走れば周りの馬より一回りから二回りも小さい馬体で非常に目立った。新馬戦以外では生涯通して常に420kg~400kg台であった。デビュー初戦から逃げの戦法をとり、競走馬生活を終えるまで(武豊が騎乗して後方からの競馬になった帝王賞を除き)ただひたすら逃げ続けた、小さな逃亡者。4歳(旧表記。以降も同様)時のラジオたんぱ賞で重賞初勝利。その後、七夕賞・オールカマーをぶっちぎりの逃げ切りで制す。6歳時の重賞2連勝の印象が強いせいか晩成と勘違いされやすいが、4歳時にラジオたんぱ賞1着やセントライト記念・福島記念2着などがあるため特に晩成というわけではない。晩年は上山競馬に移籍して11戦1勝、しかも勝ったのは初戦のみ。他のレースは全て2~8秒遅れての最下位もしくはブービーであった。 ID: AIT0wUUi4Q, 2018/11/07(水) 17:18:24 ID: UAlXjKS4+z, 2018/10/20(土) 19:48:38 排ガス規制の緩かった初期のガソリン直噴エンジン車では、鼻を突く独特な匂いの排出ガスを出すものがある。, 理論空燃比下での燃焼(ストイキオメトリ燃焼)を行い、燃費や出力の向上だけでなく低排出ガス化を図ったガソリン直噴エンジンも増えた。希薄燃焼を行わない場合でも燃費に有効なのは、, 世界初の実用筒内直噴ガソリンエンジンとしては、第二次世界大戦中においてドイツでメッサーシュミットMe109用に開発された航空機用エンジンJumo 210Gがある。現代の自動車用エンジンとは異なり、主目的は、高G下での燃料の安定供給と、過給機による高ブースト圧状態での高出力化のためであった。この技術はドイツのボッシュが世界に先駆けて完成させた、ディーゼルエンジンの無気噴射システムの応用である。その後ダイムラー・ベンツにより開発されたDB 601エンジンがMe109に搭載されたため、直噴ガソリンエンジンとしてはこちらのほうがより有名である。またこのエンジンは日本でもライセンス生産 (川崎 ハ40、愛知 アツタ)されている。航空機用エンジンで自動車用エンジンに先んじて実用化できたのは、航空機は自動車と比較してエンジンのスロットル操作の頻度が極めて少ないからである。, これを自動車用としたものが、戦後の1954年、メルセデス・ベンツ・300SLに搭載されている。ただし明らかに当時の技術では無理があり、燃料ポンプは点火を止めてもエンジンが停止するまでガソリンを噴射しつづけたため、シリンダの壁面からオイルが洗い流されてしまい、頻繁なオイル交換が必要になるという問題が生じた。, しかし電子制御スロットルの技術が確立したため、1990年代から2000年代にかけて三菱自動車工業のGDIを先駆けとして、各メーカーが次々と直噴エンジンを投入する事となった。三菱以外にはトヨタ自動車のD-4、本田技研工業のi-VTEC I、日産自動車のNEO Di、マツダのDISI TURBO/DISI、欧州ではフォルクスワーゲングループのFSI/TSI、メルセデス・ベンツのCGI、アルファロメオのJTSなどがある(アルファロメオJTSは三菱自動車からの技術供与によってGDIエンジンを元に開発されたもの)。, 最近では排ガス規制等との兼合いや、メンテナンスの難しさ(カーボン発生による不具合の頻発)などから、各社とも再びポート噴射型のエンジンに戻りつつある。また、未だに直噴を採用しているメーカーにおいてもポート噴射と併用することによって、ポート噴射でノッキングを起こさない程度の燃料を予混合し均質化した空気をシリンダーに吸入させ、シリンダー内のインジェクタノズルによって噴射した微量の燃料に点火することによって燃料を完全燃焼させるという方法で直噴エンジンの燃費のよさを活かしつつ、カーボンの発生を抑え、不具合の減少を図っている。, 海外では日本とは異なり、2000年代以降直噴エンジンを採用するメーカーが増えてきている。年々厳しくなる排ガス規制や燃費基準に対応するために、均質燃焼タイプの直噴エンジンを採用している。さらに、大排気量自然吸気エンジンを小排気量過給器付きエンジンに置き換えて、パワーと燃費をバランスさせる動き(ダウンサイジングコンセプト)が欧州メーカーを中心に加速しているが、その際過給器との相性が良く燃費の向上も図ることが出来る直噴技術は必要不可欠なものとなってきている。日本でも2010年代半ばからダウンサイジングコンセプトを受けた小排気量過給器付きエンジンを搭載した車種が登場している(日産・ノート2代目やトヨタ・オーリス2代目後期型など)。, 最近の様子としては、メーカーによって直噴に対する評価が分かれているということである。日産では、一時は大排気量エンジンに直噴を積極的に採用していたが、排出ガス規制に適合するため一時期ラインナップから消滅、その後技術的進歩などによって再び採用を始めている。トヨタでは、以前は一部車種の一部グレードに限定して直噴エンジンを搭載していたが、主力ミニバンなどでも採用した。また、12代目クラウンなどに搭載されるGR型V型6気筒エンジンではポート噴射と直噴を併用するD-4Sを採用した。トヨタ自動車では、現在レクサスブランドの車種でもGR型およびUR型エンジンを搭載したモデルは信頼性が優先されるLX、GXを除きD-4Sを採用している。マツダでは、直噴の制御性の高さを利用したアイドリングストップシステム「i-stop」、また圧縮比14:1を実現したSKYACTIV-Gなど、積極的に展開しており、現在ではスポーツカーのロードスターも含めた全ての自社製乗用車が直噴エンジンとなっている。, ボッシュの開発したピエゾ式インジェクターにより数回に分けた噴射等と空間混合が可能になり、従来の成層燃焼時の問題が幾つか解決された。その技術は現在メルセデス・ベンツやBMWのエンジンに採用されている。, 第二次世界大戦中:ドイツでメッサーシュミットBf109用に開発された倒立V型12気筒航空機用エンジンJumo 210Gに使用される。, 有害な排出物の発生を抑えることができるため、直噴の恩恵は2ストロークエンジンにおいてより高まる。従来の2ストロークエンジンでは吸気時に排気口が同時に開くため、排気ガス中に未燃焼ガスが含まれるのを避けることはできなかったが、直噴により解決する。, 一般市販の自動二輪車では、イタリアのビモータによる「500 V-Due」(500 ブイ-ドゥエ)で採用され発売された。スピードメーターの目盛りも320 km/hまで刻まれており、500ccでありながら110馬力、トルクは9.0キロと当時のオートバイ専門誌でインパクトのある記事が掲載されていたが、実際には制御用コンピューターはじめ多くの点で技術的に不完全なところも多く、期待されていた性能は出なかったこともあり、モデルチェンジの際に通常のキャブレター仕様になっている。, 低圧空気式と高圧式の2種類の直噴が2ストロークエンジンに使用されている。オーストラリアのオービタル社が燃料と空気の混合気を燃焼室に噴射するエンジンを開発した。空気は膨張して燃料は8μm径の油滴になる。他の直噴形式では油滴は20〜30μmである。オービタル社(Orbital Australia)のシステムはアプリリア、ピアジオ、プジョーとキムコのスクーターと船外機の製造企業であるマーキュリー社と東発によるボンバルディア向けに使用されている。, 1990年代初頭、フィヒト社 (Ficht GmbH) は高圧噴射式の2サイクルエンジンを開発した。噴射装置は他に類を見ないもので、高圧ポンプを持たずに、閉鎖された燃焼室で噴射する充分な圧力を得る事ができるものだった。船外機の製造会社であるアウトボード・マリーン・コーポレーションが1995年に許諾を得て1996年から船外機を製造している[7][8] OMC purchased a controlling interest in Ficht in 1998. 不器用に愚直に1990年代を駆け抜けたツインターボ。, その短い生涯は、強烈で鮮烈で美しい、胸躍る『大逃げ』の代名詞として、 ID: pH6791TMGq, 2020/05/20(水) 13:36:58 ID: pCl/0waimI, https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9C, 推奨環境:Edge, Safari, Chrome, Firefox, Opera いずれかの最新版, 『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』心に炎を灯して…主題歌「炎」から紐解く炎柱・煉獄杏寿郎の魅力とは?, 『サンモニ』関口宏「アメリカの話題はカラッとして、日本の問題はジメっとする」トランプ氏の主張には触れず?, 友達と一緒に食べたおいしいおやつ、一人で食べるとなんか違う…… 4歳の女の子の「かわいい大発見」を描いた漫画. ID: 2FZ9rMRWIL, 2020/11/09(月) 22:24:20 ターボの死から20年が経とうとしている現在も、競馬ファンは未だにターボを愛し、オールカマーの逃げっぷりを堪能している。JRAが行った「20世紀の名馬アンケート」では91位にランクインされ、動画は芝生の群生地・字幕職人の巣と化していることからも、その根強く深いファン層が見て取れるようである。 彼が一たび走ればスタンドからは笑いが沸き起こり、向こう正面に達する頃には地鳴りのような歓声に変わり、レースが決する頃にはみんなターボのことをすっかり忘れている。なぜか? ツインターボは、ゲートが開くと同時にロケット花火のように飛び出し、ペースなどという単語を微塵も感じさせない破滅的な大逃げを打った末に逆噴射を起こし、ともすれば故障発生にしか見えないようなムーンウォークを見せ、最後は歩いてゴール板の前を通過する。彼の古馬時代はほとんどがそのような競馬ばかりであり、勝ったレース以外では掲示板にすら載っていない。古馬になってからは25戦してたったの3勝である。もっと言えば、七夕賞・オールカマー・上山競馬移籍後初戦勝利以外ほぼ全てが、惜しいというにも憚られる惨敗である。そんな愚直な競馬しかできなかった一介の逃げ馬が、GIII1着やGII2着など成績的に言えばかなり善戦していた4歳時を遥かに凌ぐ勢いで、惨敗続きの古馬時代に人気を呼んだ。21世紀の競馬ファンならば確実に首をひねるであろう不可解な逆転現象である。, 一体、ツインターボの魅力とは何なのか。 [13]。 ID: QNwp40pTe5, 2018/10/29(月) 21:45:09 夢のような重賞2連勝、その期待は天皇賞(秋)においてツインターボというネタ馬を3番人気にまで押し上げた。 ツインターボは、ゲートが開くと同時にロケット 花火のように飛び出し、ペースなどという単語を微塵も感じさせない破滅的な大逃げを打った末に逆噴射を起こし、ともすれば故障発生にしか見えないようなムーンウォークを見せ、最後は歩いてゴール 板の前を通過する。 ツインターボが伝説になった瞬間であった。, ただし、この話にはオチもある。 ツインターボとは、1990年代前半に「破滅的なバカ逃げ」というレーススタイルでマニア的人気を博した、非常にファンの多い競走馬である。 世界保健機関 (WHO) は東南アジアと太平洋において大気汚染によって毎年、537,000人が死亡していると報告している、大気汚染の原因となる、1億台に及ぶ2ストロークエンジンのタクシーと自動二輪の排気ガスを改善する。[14][15]。, 2ストローク方式のレシプロ内燃機関は上記クランクケース圧縮式の他に、ルーツブロアによる強制掃気を行うユニフロースカベンジング式が存在する。かつては、バス・トラック用及び電気式ディーゼル機関車用として一世を風靡した中型高速ディーゼルエンジンの1形態であった。, クランクケース圧縮式同様吸気の吹き抜けが起き、またクランクケース圧縮式より構造上複雑になるため、市販車用のガソリンエンジンには使用されていない構造だった。しかし、直接噴射式であれば吸気吹き抜けによる未燃ガソリンの放出がなくなる。, この方式でガソリン直噴エンジンを開発するメリットとしては、4ストロークエンジンと比較した場合、従来キャブレター式やポート噴射インジェクター方式に比してトルク不足となることから、コンパクトカー・軽自動車クラスのエンジンの開発が難しかったが、爆発回数が倍になるためトルクが増しトルクの増大・小排気量化が可能となる。2ストロークエンジンとしては、クランクケース圧縮式と異なり、4ストローク機関と同等のクローズした潤滑系統になり、エンジンオイルを燃やすことがないため、排ガス浄化の面で有利になる。と言った点がある。, この事から1980年代後半から、BMW、トヨタ自動車、ダイハツ工業などが研究・開発を行っていた。, しかし、クランクケース圧縮式と異なり4ストロークエンジン同様のバルブ機構(排気のみ)があり、しかもSOHC化が難しくOHVに甘んじなければならない、また同一回転数での爆発回数が倍になることから回転数の限界が4ストロークエンジンに比べて低いなどのデメリットから、BMW、トヨタ自動車はエンジンの一応の完成まで見たものの、その後はその技術を4ストロークのリーンバーンエンジンへと応用したに留まった。ダイハツ工業は、2003年に車両本体まで完成したコンセプトモデルaiを東京モーターショーに参考出展するが、これも市販化には至っていない。, マツダは、RX-8に搭載された13B-MSPエンジンをベースに直噴化の研究を進め、排気量を拡大させた16Xという直噴化を取り入れた試作エンジンを公表した。しかしもともと吸入・排気ともサイドポート化されたロータリーエンジンは煤の発生が多い傾向にあり、直噴化によってそれがさらに悪化すること、燃費の向上が僅かであったこと、スポーツカーブームの終焉やリーマンショック以降の不景気により、開発は中断された。[要出典], 直噴化によってそれがさらに悪化すること、燃費の向上が僅かであったこと、スポーツカーブームの終焉やリーマンショック以降の不景気により、開発は中断された。, 第50回 アイドリングストップもエンジンまかせ −スマートアイドリングストップシステム−|テクの雑学|TDK Techno Magazine, "OMC and Ficht announce stategic alliance", " OMC Ficht fuel injection engines hit the market", "Canadian, German Companies Buy Assets of Waukegan, Ill., Boating Company", "2004 Clean Air Excellence Awards Recipients", Envirofit works to retrofit the Philippines, Ernasia project - Asian City Air Pollution Data Are Released, Retrofitting Engines Reduces Pollution, Increases Incomes | Worldwatch Institute, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ガソリン直噴エンジン&oldid=78619253, 第四世代(自然吸気で成層燃焼):混合気形成に新技術を使用し、リーンバーンによる燃費改善. (自動車エンジンの「ツインターボ」の項目をお探しの方は即刻ヤフーでググれ), 父:ライラリッジ 母:レーシングジイーン 母父:サンシー ガソリン直噴エンジン(ガソリンちょくふんエンジン、英語:Gasoline Direct injection engine)とは、燃料であるガソリンをシリンダー内に、高圧で直接噴射するガソリンエンジンのことである。「筒内噴射」方式と呼ばれる。, 50から200気圧という高圧のガソリンを、エンジンの吸気行程から圧縮行程にかけてインジェクターからシリンダー内に直接噴射し、点火プラグによる火花放電により着火するものである。世代によって、以下の分類がなされる。, シリンダー内の気流を利用して、点火プラグ付近に燃焼可能な混合比の層(成層燃焼)を形成することで、シリンダー内全体としては空燃比20:1から55:1の超リーンバーンを可能にしている。リーンバーンにより、以下の理由で燃費が向上する。, また、高負荷時は出力空燃比(12:1)付近での燃焼(均質燃焼)へ切り替えて吸気行程でガソリンを噴射する。この際、ガソリンの気化熱によりシリンダー内の吸気が冷却されることで充填効率(酸素濃度)が向上し、高出力が得られる。, 燃焼モード切替時(超希薄空燃比 ⇔ 理論空燃比)には必要とする吸入空気量に大きな差があり、また切り替え時のトルク変動を抑えるため、スロットルバルブの動作には、電子制御スロットルを用いる場合がほとんどである。, 希薄燃焼時の排出ガスは酸素過多の状態にあり、従来の三元触媒ではNOxの還元作用が期待できず、リーンバーン時にはNOxを吸蔵し、理論空燃比よりもリッチな状態になった場合に還元するNOx還元触媒が必要となる。 サイレンススズカと共に今も、語り継がれている。, 2018/07/18(水) 21:49:48 結果は言わずもがなのビリッケツ。これ以上無いという負けっぷりであった。 ID: Iw5KdwV1M/, 2019/08/13(火) 05:09:47 1991年のラジオたんぱ賞、1993年の七夕賞とオールカマーに勝利。 常に後続を大きく引き離す大逃げという戦法の馬で、勝つときは圧勝、負けるときは急激な失速から惨敗という、極端なレース運びから人気を博した(後述)。 産駒は5頭のみ。既に全頭が引退し、ツインターボの血は残っていない。, まあそんな能書きはツインターボの魅力を語るに際してどうでもいい事なので、関連動画を見なさい。, ツインターボ。 1991年のラジオたんぱ賞、1993年の七夕賞とオールカマーに勝利。常に後続を大きく引き離す大逃げという戦法の馬で、勝つときは圧勝、負けるときは急激な失速から惨敗という、極端なレース運びから人気を博した(後述)。中央競馬において「最後の個性派」とも呼ばれた[2]。, 1988年、北海道静内町の福岡牧場に生まれる。幼駒時代から強い身体のバネを備えていたが、一方で食が細く非常に小柄な馬だった[3]。2歳時に日高ケンタッキーファームで育成調教が積まれたあと、競走年齢の3歳を迎えた1990年春に茨城県美浦トレーニングセンターの笹倉武久厩舎へ入った[4]。, 馬房では大人しい馬だったが、人が跨ると徹底的に反抗する性格で調教に手間取り、デビューに向けての必修審査となるゲート(発馬)試験の通過にも4か月を要した[5]。このため初戦は翌1991年まで遅れた。, 1991年3月2日、中山開催の新馬戦でデビュー。このとき笹倉は騎手の石塚信広に対して「好きなように走らせろ。ハナ(先頭)に立て。あとは舵をとるだけでいい」という「指示」のみを与えた[6]。レースは指示通りスタートからの逃げ切りで、2着に3馬身差を付けての初戦勝利を挙げた。, 次走の条件戦も逃げ切って連勝。続いては東京優駿(日本ダービー)への出走権確保のため、鞍上を大崎昭一に替え、トライアル競走の青葉賞に出走した。しかし最後の直線半ばで失速して9着に終わり、初の敗戦を喫する。続く条件戦も柴田政人騎乗で5着と敗れたが、重賞初出走となったラジオたんぱ賞(大崎昭一騎乗)では、向正面で後続に大きな差を付けるレース運びから最後の直線を逃げ切り、重賞初勝利を挙げた。これは笹倉にとっても初めてのサラブレッド系重賞勝利であった。, 盛夏を休養に充て、秋季はセントライト記念から始動。引き続き大崎を背にストロングカイザーからクビ差の2着と逃げ粘り、また東京優駿2着のレオダーバンをクビ差抑えた。この後、4歳クラシック最終戦の菊花賞を回避し、ラジオたんぱ賞と同じく福島競馬場で行われるGIII・福島記念に出走。前走に続き2着となった。, 年末にはグランプリ競走・有馬記念でGIに初出走する。しかし14着と大敗を喫し、さらに競走後には鼻出血が判明。翌年には体調を崩して長期休養を余儀なくされた。翌1992年11月にオープン特別戦で復帰。当日1番人気に支持されるも、10着に終わった。以後も復調は見られず、翌1993年春季いっぱいまで連敗を重ねた。, 7月に入り、良績を挙げていた福島競馬場で行われる七夕賞に出走。従来見られたスタートの遅さを解消するため、本競走からスタート巧者であり、逃げ戦法を得意とする中舘英二が鞍上に迎えられた[7]。中舘自身、新馬戦からツインターボの走りに注目し、「一度乗ってみたい」と考えていたという[7]。当日は福島競馬場の入場人員記録となる47391人が集まり、この中で中舘ツインターボは前半1000メートルを57秒4というハイペースで大逃げを打った。そのままゴールまで失速することなく、2着アイルトンシンボリに4馬身差を付けて逃げ切り、約2年ぶりの勝利を挙げた。中舘はこのときのレース振りを「僕は掴まっていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」と語っている[8]。, 2か月後、秋初戦としてオールカマーに出走。当年の天皇賞(春)を含むGI競走2勝のライスシャワーら一線級が相手となったが、当日はライスシャワーと桜花賞優勝馬シスタートウショウに次ぐ3番人気に支持された。レースは常の通りスタートから先頭を奪い、向正面では2番手ホワイトストーンに約10馬身、さらにその後続集団まで10馬身以上という大差を付けて逃げ続けた。ただ1頭で最後の直線に入ると、ゴールまで脚は鈍らず、2着ハシルショウグンに5馬身差を付けて重賞2連勝を遂げた。2番手を進んだホワイトストーン騎乗の柴田政人が「あれ以上深追いしてたらホワイトストーンが潰れていた[9]」と語るように、後続が無理な追走で共倒れすることを恐れた結果であったが、ツインターボの前半1000メートル通過は59秒5と比較的早い程度のペースであった。中舘は競走後にパトロールフィルムを見た際の感想として「何でこんなに離れているんだろうって、信じられなかった」と述べている[9]。, 次走に臨んだ天皇賞(秋)では、前日発売で1番人気、当日は3番人気に支持されたが、逃げ潰れての最下位17着に敗れた。以後は大逃げを打っては直線手前で失速するといったレースを繰り返し、結局オールカマー以降はJRAでは勝利を挙げられなかった。中舘は「オールカマーで燃え尽きちゃったような気もする」と語ったが[9]、不振の最中にあっても、その潔い「負けぶり」からファンの支持を集め続けた。, 1995年には公営・上山競馬へと転厩する。転厩後の初戦を勝利したもののその後は連敗し、9歳となった1996年のクラスターカップを最後に引退。以後は宮城県の齊藤牧場で種牡馬入りするも、5頭の産駒を残したのみで、1998年1月15日に心不全で死亡した。, なお2014年に行った「JRA60周年記念記念競走メモリアルレース」として、この年の七夕賞(7月13日)の準メインレースとして「韋駄天 ツインターボカップ」が行われている。レース名はファン投票で決められたが、ツインターボは2位のミヤビランベリの倍以上の得票数を獲得している[10]。, 逃げ切り圧勝か、さもなければ失速惨敗というレース振りから、俗に「玉砕型」と呼ばれるタイプの逃げ馬の象徴的な存在となっており、2004年に日本中央競馬会の広報誌『優駿』が行った「個性派ホースベスト10」という企画において、1980-2000年代の逃げ馬部門で識者・読者双方の投票でいずれもサイレンススズカに次ぐ第2位に選ばれた[11]。サイレンススズカは「強い逃げ馬」の筆頭として名を挙げられており、選者を務めた須田鷹雄は、識者投票の席上で事前に「サイレンススズカを選ぶ方向なのか、ツインターボを選ぶ方向なのか」という議論があったとしている[12]。, この企画でツインターボの講評を担当した山河拓也は、「玉砕また玉砕。しかし、99回玉砕しても百回目には逃げ切るんじゃないか、と期待された」「観客の頬はどれも『いつ止まる?』と緩んでいた。そして失速後退の瞬間、彼の馬券を握っていた者も握っていない者も大声で笑った。悲壮感なき玉砕。こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ」と評した[13]。また、競馬漫画家のよしだみほは自著の中で「あの大逃げが決まったときは本当に気持ちよかったし、逆につかまるときも良かったよね」「大きいところは勝ってないけど、こういう馬がいないと競馬は楽しくないよね。大好きな馬でした」と語っている[14]。こうした人気は、日本中央競馬会が2000年に行った名馬選定企画「Dream Horses 2000」でファン投票により848票を集め、第91位に選ばれたところにも反映されており[15]、GI(グレード制導入前の八大競走を含む)未勝利馬の100位以内選出は、ほかにステイゴールド(34位、企画実施後にGI勝利)とナイスネイチャ(71位)のみであった。, 同時期に活躍していた個性派逃げ馬にはメジロパーマーがいる。よしだみほの漫画『馬なり1ハロン劇場』の「なんでもアリ馬記念」では、「ハナを切るメジロパーマー、ケンカを売るツインターボ」というシーンが描かれている。オールカマーを逃げ切ったとき、騎手の中舘は記者に、天皇賞(秋)でのメジロパーマーとの逃げ対決について水を向けられ、「テンの速さならツインターボの方が上。」と言い切って自信を見せた。結局パーマーは出走せず、このあとも両馬がレースで顔を合わせることはなかったためこの対決は幻に終わったが、1991年から1994年までの有馬記念ではどちらか1頭が必ず出走しており、大逃げでレースを盛り上げた。, 「Dream Horses 2000」の誌上講評会においては、作家の吉川良がツインターボの選出に絡めて「今の競馬をつまらなくしているのは、みんな同じような乗り方をする騎手にも責任があると思うんだ」として[16]、画一的な騎乗の蔓延に苦言を呈した。なお、ツインターボが競走生活を通して逃げなかったのは、スタートで出遅れて最下位となった帝王賞(公営・大井)のみだった。このとき騎乗した武豊は「最初から逃げるつもりはなかった」という主旨の発言を行い、これに対してライターの加藤栄が、大逃げを見たいという主催者とファンの期待に背いたとして「武はまったくもってつまらない競馬をした」と批判[17]。また、逃げなかったことで「生涯逃げ馬じゃなくなっちゃった。ツインターボの経歴に傷を付けた」と非難した[17]。, 父ライラリッジはアメリカで競走生活を送ったが、下級競走で2勝を挙げたのみで終わっている[18]。種牡馬としてもツインターボ以外に目立った産駒は出していない。おもな母系近親には、母の従兄弟にラジオたんぱ賞の勝利馬アキビンゴがいる[18]。またツインターボの半弟ゲイリーミナレットは4勝を挙げ、GIII・マーキュリーカップで3着の成績がある。, 『優駿』1998年4月号 p.70「"最後の個性派"宮城に死す - ツインターボ、心不全で死亡」, よしだみほ『よしだみほの20世紀100名馬』(ワニブックス、2000年)p.172, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ツインターボ_(競走馬)&oldid=80050174, 柴田哲孝『伝説のバイプレイヤー - 歴史に残らなかった馬が残した物語』(KKベストセラーズ、1998年). 時代は変わり、21世紀になった。世の中がディープインパクトやウオッカやオルフェーヴル等数々の名馬に酔いしれる中、私達はファストタテヤマやウインクリューガーやポルトフィーノ等数々の個性派に笑い、時には感動を覚えている。だが、これからいくら新しいネタ馬が出てこようとも、永遠の大将格として、ツインターボはこれからも未来永劫愛され続けることだろう。, ファンに笑われながらも、勝つため、そして生き残るため、 [9][10][11][12]。, コロラド州立大学の支援を受けて非営利企業のEnviroFitは東南アジアにおける大気汚染を減らすため、オービタル社の開発した技術を基に2ストローク自動二輪向けの改造キットを開発した。(フィリピンなど、対策、TV映像) 引退後は宮城県で種牡馬となるが、98年心臓発作のため11歳で死亡。 そう、ツインターボとは、「様式美」なのである。 ツインターボは、日本の競走馬である。. 「何故こんな馬が好きなのか?」とファンに訊けば、彼らは、, と口を揃えて言うだろう。 ID: OisqYTIxJv, 2019/06/08(土) 15:54:54 2007年:BMWが直列6気筒ガソリン直噴+ツインターボのN54エンジンを発表し、335iクーペを皮切りに、335iセダン、535i、135iにも搭載された。 BMWとPSAが共同で新開発した直列4気筒1.6L ツインスクロール直噴ターボチャージャー (最高出力175ps)エンジンが、まず 2代目ミニ・クーパーS に搭載され … ID: AQ9/knewG3, 2019/12/27(金) 22:02:27 みんなに愛された破滅的なバカ逃げツインターボツインターボは極端すぎるレース運びで人気者になった競走馬。サイレンススズカに続き1980-2000年代の逃げ馬部門では2位となっています。ツインターボがウマ娘になったら一体どんなキャラクターになる

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